茜さん
さん
真理子さん、ありがとうございます。

秦河勝が京都市の西部、桂川付近の干拓事業に進出したとき、京都の東側を開発した鴨族が蟠踞しておりました。

ご存知のように、出雲大社の大国主の本家が奈良県まで進出して邪馬台国の盟主となっていましたが、神武天皇に降参して、大神神社に封じ込まれました。奈良県の古い神社はほとんどが大国主を祀ります。

この時、鴨族は新天地を求めて京都に移動します。これが下賀茂、上賀茂神社です。西暦250年あたりでしょうか。

聖徳太子の口添えもあったのでしょうが、鴨族とは婚姻関係を結び良好な関係を築きます。

秦河勝は自分たちの神を前面に出さず、ひたすらよそからの神を勧請して、松尾山を御神体と仰ぎます。鴨族とのつながりから、大国主も祭っています。

いつしか酒造技術者を集め、松尾大社の近くで、酒造が始まったようです。
この近くの地下水は、サントリー山崎工場のものと同じ水脈です。軟水です。

敵を作らず、政権の中枢に入らなかったから、繫栄したのでしょうか。

大国主を祀る神社、関西には多いです。

一枚目の写真は松尾大社に奉納された酒樽。奉納金は数十万円といいます。

松尾大社の大鳥居です。