茜さん
さん
ゆかねこさん、ありがとうございます。

太秦は映画村だけではなく、秦氏の痕跡がたくさん残ります。映画村が一番面白いですが(笑)。

秦河勝の盟友聖徳太子(574-621年)亡くなった後、蘇我入鹿の台頭が著しくなり、争いを避けるため河勝は兵庫県赤穂市の坂越(さこし)に移動します。

ここでも坂越を流れる千種川の改修をしたり港湾を整備します。年号は不明ですが、河勝はこの地でなくなったようです。
大避神社に祭られています。写真1

一方聖徳太子が亡くなった後、長男一族が、蘇我入鹿に滅ぼされます。この時はすでに秦河勝も坂越でなくなっていたようです。

蘇我入鹿の勝手な振る舞いに対して、やがて645年の「大化の改新」が起こります。

その後秦一族は日本全国に「ものつくり」の精神を伝えて、日本の基盤を作ってくれました。

港町の雰囲気が残る坂越の街です。写真2
大避神社から見える港に残る河勝のお墓。写真3