茜さん
さん
穂波さん、ありがとうございます。

大阪城のある上町台地はかつての浄土真宗の本部でした。お寺と言っても戦国大名のごとく、防衛に特化した「地内町」でした。

この浄土真宗に対して戦いを挑んだのが信長ですが、10年かけても落ちませんでした。

しかし毛利氏の船による食料援助、協力関係にあった浅井、朝倉の滅亡、更に尼崎城、高槻城、有岡城などが建設され浄土真宗の本部は完全に包囲されるに及び、和睦しました。

この時に和睦の折衝に当たったのが堀久太郎です。本部を南御堂などに移転することが決められました。その後は秀吉の時代に、京都に移転するように命じられ、勢力を二分すべく、西と東本願寺に分割されて今に至ります。

東本願寺は親鸞の直系大谷家が継いで、西本願寺は総長は末寺の皆様方の選挙で選ばれます。

なお、歴史の教科書では「一向一揆」と表現されますが、浄土真宗の一揆です。現在は一向宗は登録されていません。

カーナビの無い時代に御堂筋を走ったことがありますが、全く道がわからなかった記憶があります。
おっしゃるように車線の間の街路樹の左の路線を走行しておかないと、左折できませんね。

地名には歴史があるものですね。