茜さん
さん
飛鳥さん、ありがとうございます。

幕末までの間この城の藩主は青山氏であることは知っていましたが、磯田道史「日本史を暴く」に、青山氏の記述がありました。

青山家は家康の代から徳川家に仕えます。青山忠成は21歳で二代将軍秀忠の「もりやく」になっています。家康が秀吉の命で関東に移封になった折5千石の知行を得ています。
忠成の子忠俊は三代将軍家光の「もりやく」となります。

ある時忠俊が御前に出ると、家光は鏡を並べて化粧をしている。当時は歌舞伎役者の奇抜なファッションが流行った時代です。

忠俊は化粧鏡を奪い取ると庭に投げ捨てます。
家光は忠俊を老中から外し、改易(家禄を没収)処分にします。

この後は次の将軍の代になって、青山忠朝が篠山城五万石に栄転します。1748年から1871年まで篠山藩は続き明治に至ります

徳川家には常識ある幕臣がいて、青山家の貢献が高いことを知っていたようです。青山家は何回も老中に就任しています。