茜さん
さん
結衣さん、コメント、写真ありがとうございます。

お友達は好い経験をされたようですね。
中谷美紀はいくつになってもきれいですね。

藤堂高虎、黒田官兵衛、加藤清正が「築城三名人」と言われますが、城のなわばりの数が最も多い高虎が第一人者でしょう。

高虎ははじめ秀吉の弟の秀長に仕えた頃秀吉の長浜城建設に出仕しています。
また、織田信長の安土城築城の折は秀吉に従って工事に従事しています。

これらの工事で近江坂本の石工である穴太衆(あのうしゅう)と出会い石の座りの工夫を学んだようです。

同郷の甲良大工、穴太衆を抱えて優れた建築集団を組織したことが城造りの名手と呼ばれる所以だったのでしょう。

戦国時代は穴太衆が全国に出かけて石垣の指導に出かけ、日本の城の石垣の8割を造ったといいます。
しかし戦がなくなった江戸時代には仕事がなくなり、現代では穴太衆の技術を受け継ぐ会社が栗田建設だけになったのは淋し限りです。

野面(のづら)積は前面に隙間があるので、崩れやすそうで志うが、実はこの空間に秘密があるのです。

城以外の工事ではこの空間にセメントを詰めないと今の建築基準に引っかかるそうです。

1枚目の写真は前面の隙間に石を詰めていますが、これが野面積ですね。
2枚目写真はも野面積、加藤清正の熊本城の石垣は前面がぴったりしていませんが、この方が地震による力の分散に有効だそうです。