茜さん
さん
はるなさん、ありがとうございます。

はるなさんも彦根城を訪れていたのですね。

実戦を想定した石垣はきれいでした。

1860年「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺されましたが、幕府は彦根藩に対して10万石の減封を科しました。
いわゆる「武芸不心得」です。吉良上野介もこれでお家は断絶しています。

この幕府の処分が影響してか、徳川慶喜が大政奉還をした翌年の「鳥羽伏見の戦い」では、新政府側についています。

西国大名の抑えの筆頭にある彦根藩もどちらに味方する方がよいかわきまえていたのですね。
これは御三家の和歌山、名古屋も同じですね。