茜さん
さん
幸子さん、ありがとうございます。

武田信玄率いる武田軍の山県昌景は各武将の次男を騎馬隊として率いました。
甲冑は朱色に統一しており、のちに武田全軍もこれにならいます。

全速で敵陣に突入するさまをかつては、三方ヶ原で家康は負け戦の中で見ています。

信玄亡き後、跡を継いだ武田勝頼が天目山のつゆと消えたのち、家康は山県軍の遺臣を伊井直政に委ねます。
これが井伊の「赤備え」。

関ヶ原合戦、小牧長久手の戦いなど家康の先鋒として活躍します。

大坂の陣では、真田幸村の「真田丸」に伊井直政の息子に攻撃させますが、落とせなかったようです。

写真は天守にある甲冑です。