茜さん
さん
はるなさん、再度コラボ画像ありがとうございます。

井伊の「赤備え」は活躍した夢を残して幕末に至ります。
徳川家の先鋒部隊としての栄誉は藩全体の誇りでもありました。

1866年の第二次長州征伐には最大の戦闘が予想される広島市に布陣します。この時、かつての徳川四天王の榊原家高田藩も横に並びます。
両藩ともに戦国時代の陣容で、槍隊が中心の陣容です。

「赤備え」を披露すると長州が恐れると思っていましたが、全く効果はなかったようです。
それよりも「赤備え」のために良く目立ち射撃の的になったそうです。

一時間足らずで退散し、これが幕府軍に大きく影響したとのことです。

長州は大村益次郎率いるヨーロッパの軍装、槍と火縄銃では無理ですね。