茜さん
さん
今日子さん、ありがとうございます。

比叡山延暦寺は皇室、貴族の御用達の寺院です。
東寺などの官立寺院の長を歴任した空海は比叡山とは異なる「密教」を確立します。
「密教」を唐の長安でわずか1年で免許皆伝を受け帰国します。
比叡山延暦寺を開く最澄は空海と共に留学しますが「密教」はよくわからなかったようです。

誤解を恐れずに言いますと、「密教」は世の中が自分の都合の良いように変える教えだそうです。それ空海は嵯峨天皇に重用され仲良くなります。

化野念仏寺と嵯峨天皇の離宮は歩いて30分ほど。
夏には風葬の地のにおいが漂ってきたでしょう。
空海に風葬の地を整備するように命じたのでしょう。

その後は荒れ放題になりますが比叡山は庶民の墓は相手にしないようです。

庶民のための仏教を広めた「法然」は「念仏」を唱えるだけでよいという「浄土宗」を起こします。

やがてはこの風葬の地は「法然」が本堂を建てて「化野念仏寺」となります。

「法然」の弟子が「親鸞」、「浄土真宗」を興します。

なお歴史の教科書に出てくる「一向一揆」は浄土真宗の信者の一揆です。

浄土真宗は規模が大きくなりすぎて、秀吉の時代に「東本願寺」と「西本願寺」に分離されました。

京都はワンダーランドですね(笑)。