茜さん
さん
幸子さん

梅の後は桜が出番を待っています。

徳川家康が大阪城を落とした後、幕府の権威を見せつけるため、秀吉の築いた天守閣の2倍のサイズ、石垣の高さも2倍ある大阪城を築きました。

縄張りは城づくりの名手、藤堂高虎です。
西国大名による天下普請です。しかし、1665年落雷で焼失します。再建はされませんでした。

1927年に大阪市は豊臣時代のお城を再現すべく、市民の寄付により鉄筋コンクリート造り8階の現行の城を作りました。
1931年大林組が施工しています。
ただし、秀吉が作った天守とは外観が全く違います。

空襲の被害を受けましたが、1931年の建設当時の面影はそのままです。

1997年には国の登録文化財に指定されています。

秀吉時代の城域は現行の5倍あったそうです。


堀の幅、石垣の高さは秀吉時代の2倍にして江戸幕府の権威を見せつけました。