茜さん
さん
幸子さん

次回はショートのチャイナドレスも考えてみます。

804年空海を乗せた遣唐使船(第一船、最澄は第二船)は熊本県の田浦港を出発しました。

最澄は既に朝廷内でも高い位にある僧、通訳付きで留学費用は国が負担します。

空海は私費で参加、通訳なしです。

白村江の戦い(663年天智2年)大敗した日本は朝鮮半島から撤退していますので、半島沿いに行くことはできず直接中国大陸を目指します。
そして船は難破し、ベトナム付近に漂着するも、何とか長安(西安)に到着します。

西安の青龍寺でわずか2年で、恵果和尚の下「密教」の免許を取得します。
これこそが平安貴族が渇望した宗教です。

最澄は1年で帰国しましたので、「密教」の免許は取れませんでした。

司馬遼太郎「空海の風景」を読んで、私は西安に旅行したことがあります。
中国人は全く訪れない「青龍寺」に空海の記念碑があります。

「青龍寺」に入る道路に通行税がかけられていたのには仰天でした。

司馬遼太郎曰く、「空海は天才」。

東大阪市に「司馬遼太郎記念館」があります。
ここで執筆活動していました。
司馬遼太郎が好きだった菜の花、毎年この時期に「菜の花祭」があります。

写真3・空海は南路から長安(今の西安)に行きました。