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茜 さん |
誤解を恐れずに書かせていただきます。 西暦250年ごろまでは邪馬台国は存在していました。 盟主は出雲大社大国主の子孫です。 奈良県桜井市纏向遺跡に本部があったようです。 250年前後に神武天皇は奈良県橿原市に入ります。 これを手助けしたのが加茂族の葛城氏です。 加茂一族は葛城山の麓、高尾張村に盤踞する出雲大社ゆかりの方々です。 葛城氏は天皇家に協力するが、やがては滅びます。 神武天皇をいやがり名古屋・尾張(高尾張村からきています)に新天地を求めて移動した一族もいました。 一方で未開の地京都に移動した加茂一族は上賀茂神社に大国主を祀りました。 いつしか滅びた葛城氏は下賀茂神社にやってきて、これまた大国主を祀ります。 下賀茂、上賀茂神社は同族意識が強いので、京都にくることを許したのでしょう。 やがては平安遷都の794年以降、両神社は北の守護神として扱われるようになります。 しかしながら、朝廷はこれらの神社の支配地域を削ったのが原因でしょうか、たまたま京都が疫病と天候不順に見舞われて、「賀茂神社の祟り」ということにしたのでしょう。 「朝廷は過去の神武天皇を助けたことを思い出してほしい」と、して葵祭の感謝祭を要求したのでしょう。 写真は上賀茂神社に隣接する「社家町(しゃけちょう)」、 上賀茂神社の幹部クラスの社宅です。 葵祭を裏読みするとこうなります。 加茂神社の公式の文言ではありません。 |