みえの はるなさん
みえの はるな さん
折角大原の里に訪れたので 寂光院(じゃっこういん)まで足を延ばしました…
聖徳太子創建とされる尼寺なのですが それよりも平家滅亡の際の悲劇の主人公 建礼門院徳子が 我が子や平家一門の菩提を弔いつつ 終生を過ごした地として知られています… 
「徳」は正しくは「心の上に一」が付く旧字です… 
https://www.jakkoin.jp/
https://kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/detail/5600/

『建礼門院 徳子(平 徳子(とくこ とくしとも)) 
父:平 清盛 母:平 時子 夫:高倉天皇(中宮(皇后)) 子:安徳天皇
壇ノ浦の戦いで敗戦が濃くなった時 時子が孫の安徳天皇を抱いて海に飛び込み 徳子も後を追って飛び込んだのですが 徳子だけが源氏の兵士に助け上げられました
安徳天皇は 歴代の天皇の中で最も若く 数え8歳(満6歳)で崩御した天皇
なぜ 敵方の源氏の兵士が助けようとしたのかについては不明のようですが 三種の神器を見つけるためだったとも 安徳天皇を死なせてはいけないためだったがその時救出できたのが徳子だけだったとも
ここでも 源義経や明智光秀同様 安徳天皇は壇ノ浦で入水せず 平氏の残党に警護されて生き延びたとする伝説があります』

先に訪れた大原陵の後鳥羽天皇は 安徳天皇の異母弟になります…
後鳥羽天皇は 安徳天皇在位中に 三種の神器がないまま即位した天皇として知られています…
この辺りの歴史に興味のある方はこちら ない方はパス…
https://yamaguchi-tourism.jp/feature/dannoura