茜さん
さん
みえの はるなさん

洞ヶ峠で順慶が布陣したという正確な資料は無いようです。
ただ、奈良で死闘を繰り返してきた筒井順慶は当時から「日和見順慶」が相当流布されていたので、洞ヶ峠と結びついたのかもしれません。

歴史にもしは禁物ですが、あと1ヶ月遅ければ、家康が光秀との約束通り、駆けつけたことでしょう。

江戸時代なって、順慶の息子の代になって45万石は改易になりました。

大和郡山は金魚祭りで訪れたことはありますが、城跡はまだですので、行ってみたいですね。