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25425. 紫式部の氏神・大原野神社
[142268]  紫式部の氏神・大原野神社 投稿日時:2023/11/29 20:14:49
茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
来年のNHK大河ドラマドラマに登場する、大原野神社に参拝しました。

神社は看板を用意して出迎えてくれました。
観光地ではありませんので、土産物店はなく、門前に蕎麦屋が一軒あるだけです。

784年桓武天皇が長岡京遷都に際して、奈良市の藤原氏の氏神である春日大社より勧請したものです。

長岡京遷都は、この一帯を開発した、以前に紹介した秦氏の働きかけでしょう。
[142270]  Re: 紫式部の氏神・大原野神社 投稿日時:2023/11/29 21:56:44
みえの はるなさん みえの はるなさん みえの はるなさん みえの はるなさん
投稿: みえの はるな さん [mVzCYfsn]
茜さん こんばんは
来年の某国営放送の大河ドラマのモデルは 紫式部ですね…
お写真は ご紹介いただいている 紫式部ゆかりの大原野神社…
撮影日は 11年前の平成24年12月1日…
紅葉の時期でしたので 不便なところにもかかわらず それなりの人出でしたね…
[142273]  Re: 紫式部の氏神・大原野神社 投稿日時:2023/11/29 23:59:10
投稿: 飛鳥 さん [iMpQsH9v]    女装っ娘 高木飛鳥のお出掛け日?記
茜さま こんばんヮ(*^_^*)
NHKって最近見たことが無いので良く分かりませんけど、大原野神社さまは京都の中心部からだいぶ離れたところにあるんですネ(^_^)b
歴史もあって素敵な神社さまですネ(*^^)g
ロマンを感じながらお参りが出来そう(^v^)
近くだったらすぐにでも行ってみたいですね(^J^)
[142274]  Re: 紫式部の氏神・大原野神社 投稿日時:2023/11/30 02:01:25
結衣さん
投稿: 結衣 さん [kYDFRmaP]
sinfonia結衣
茜さん

来年の大河は「光る君へ」ですね。
私はだいたい見ています、途中で見なくなったのは「いだてん」くらいでだ、ほぼ見ています。
紫式部の時代って平和だったので、大河ドラマとしては残念な年になるかもしれませんね。
[142280]  紫式部の氏神・大原野神社 投稿日時:2023/12/01 01:21:13
茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
みえの はるなさん

大原野神社の紹介ありがとうございます。今までに数回、この神社に接する勝持寺(花の寺)を桜の季節に訪れたことがあり、おまけに大原野神社に参拝していました。
今回もおまけのつもりで参拝してビックリでした。

紫式部(973-1031年)の父は藤原為時、「従五位下」の下級官位だったそうです。大きな国の国司、今の知事に相当、年収1500万円だったそうです。
正一位の太政大臣、今の総理大臣、は年収3-4億円、格差に驚かされます。

このシステムは唐にならったものですが、鎌足の息子、藤原不比等が創り上げた官僚制度です。

紫式部の父は漢詩人でもあり、花山天皇に漢詩教授しており、その影響で宮中に入り、「源氏物語」物語の元本を書いては、宮中で回し読みされていたようです。

この評判を聞いた藤原道長は道長の娘で一条天皇の妃、彰子の家庭教師に推挙します。

賢い彰子は「何か物語を書いてね。」と暗に宮中で読まれていた小説の完成を応援してくれます。

彰子は滋賀県の石山寺に頼んで、一室を手配します。
ここから「源氏物語」を書き始めたようです。

写真は石山寺。
[142297]  河内長野市 投稿日時:2023/12/03 00:42:15
茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
飛鳥さん、ありがとうございます。

大原野神社(京都市西京区)京都市内からは交通の便が最悪ですが、西京区に接する長岡京市からはバスが出ているようです。

源氏物語は高校の古典で習ったくらいです。
その頃は源氏=武士という感覚だったので、源氏物語名称の意味が分かりませんでした。

嵯峨天皇(782-842年、桓武天皇の第5皇子)以降、臣籍へと降下し、「源(みなもと」の本性を受けた皇子などを源氏と呼ぶようです。武士の源氏は清和天皇の息子の子孫です。

光源氏のモデルと言われるのが嵯峨天皇の皇子源融です。
暇だったのでしょうね、宮中の女官に手を出して昼間から遊んでいたようです。その源融が建てた別荘が宇治にあり、「源氏物語」にも登場します。この別荘はまわりまわって藤原道長に渡り、息子の藤原頼道が平等院鳳凰堂として創建します。

頼道は熱心に京都から毎日宇治市の平等院に通い、そのためでしょうか、当時としては異例の82歳まで生きたようです。

いつの時代にもそうですが、観光資源になる建物は当時信じられないほどの費用をかけているものですね。

写真は宇治橋袂の紫式部の像です。
[142298]  三井寺 投稿日時:2023/12/03 01:36:42
茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
結衣さん、ありがとうございます。

茜も大河ドラマのファンで毎年観ています。「いだてん」茜も同じでした。

藤原道長道長の推挙で一条天皇の妃彰子に仕えた時の「女房」名が「藤式部」。式部は父親為時の勤務先が式部省に由来します。光源氏の妻の名前が紫、これで作家としてのペンネームが「紫式部」です。

天台宗・門宗の総本山三井寺(みいでら)は正式名称は園城寺(おんじょうじ)、紫式部と縁の深い滋賀県大津市にある古刹です。

紫式部1014年なくなります。享年42歳。
この2年後父親為時は70歳を過ぎて三井寺に出家します。式部の母の兄弟が三井寺の僧侶。また式部の兄は一条天皇の葬儀の責任者となる著名な僧侶だそうです。

源氏物語は高校の古典の授業で習ったくらいですが、文庫本瀬戸内寂聴寂聴巻一、買ってみました。「史上最高の恋愛小説」の帯がついていました。

紫式部の墓が住宅地にあります。


[142299]  大原野神社 投稿日時:2023/12/03 01:50:04
茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
みえの はるなさん

添付忘れです。

紫式部は時折大原野神社に参拝して、憂さを晴らしていたのでしょう。

当時の宮中に貼り紙があり、「宮中において、男女の○○を禁止する」。平和な時代だったのですね。

男性にあぶれた女官が多かったのでしょう。
女性が使う○○がたくさん発掘されています。

紫式部の住居跡。現在の蘆山寺です。
[142300]  大原野神社 投稿日時:2023/12/03 01:57:34
茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
飛鳥さん

添付忘れです。
大原野神社の境内です。
滋賀県大津市石山寺に残る、紫式部の部屋。

さすがに関西は歴史的なものは残っていますね。
[142303]  Re: 紫式部の氏神・大原野神社 投稿日時:2023/12/03 11:47:12
投稿: 今日子 さん [ukPeIUBN]    一人暮らしでも楽しい夕食
茜 さん、こんにちは!
素敵な神社ですね。来年の大河を楽しみにして見て見ます。それにしても北海道と違い歴史が凄い!
[142337]  Re: 紫式部の氏神・大原野神社 投稿日時:2023/12/04 17:56:58
京子さん
投稿: 京子 さん [t4GEjaeD]
来年の大河ドラマの先取りですね。手回しの良いことでうらやましい限りです。撮影もたくさんに写されて見ごたえがありました。気になったのは写真が仰角が多いのですが、何か理由があるのでしょうか?余計なお世話だとは思いますが、目線の高さの写真もとってみて下さい。雰囲気が変わるような気がします。(私の写真は目線より高い位置からとっています。)
[142345]  大原野神社 投稿日時:2023/12/04 23:55:40
茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
今日子さん、ありがとうございます。

日本史に出てくる平安時代建物、空襲が無かった京都には、数多く残ります。

遷都は天皇家に利益を供出する土地に行くものです。
京都の東南部は秦氏が開拓して、多くの利益を天皇家にもたらしました。

長岡京(平安京の南東にあります)に遷都したとき、くっついてきたのが藤原氏です。
奈良の春日大社より勧請しています。

紫式部は下級官位ながらも藤原氏の一族です。

藤原道長に見いだされて、女官となり、世界初の恋愛小説を執筆しました。
[142348]  大原野神社に隣接する勝持寺 投稿日時:2023/12/05 01:03:16
茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
京子さん、ありがとうございます。

おっしゃるように、上向きの写真が多いと思います。
いつも上向いているわけではなく、上を向くと顔のしわが隠れると、年配のモデルさんが話していましたので(笑)。

大原野神社に隣接する勝持寺(通称花の寺)があります。
撮影時はまだ紅葉少しだけでした。写真1

茜は花の寺は桜の季節に数回訪れたことがあります。京都市内の混雑はありません。

784年に大原野神社が創建されたとき、勝持寺は大原野神社の別当寺となりました。
桓武天皇の勅により最澄が塔頭49院を建てたといいます。
これもまた秦氏の援助によるものでしょう。

それよりもこの寺が有名なのは、1140年に佐藤義清が当寺で出家し、西行となったからでしょう。
西行はこの桜の前で出家を決意したそうです。
桜の好きの西行はここからきています。写真2

西行は平清盛(1118-1181年)と好い友人であったそうです。その後ろ盾もあってのことでしょう。

茜の写真は背景は合成です。
茜が実際に撮った写真を、自宅で自撮りした写真と合わせてあります。
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