女装用品
アルテミスオーナーコラム
女装HOME > 女装投稿写真 > 投稿写真スレッド
女装投稿写真

せっかく綺麗に女装したのに人に見てもらうチャンスが無い方や、とっておきの秘蔵女装写真をお持ちの方、自分の女らしさをアピールしたい方の女装写真をこちらに掲載いたします。

25654. 京都・葵祭
[144544]  京都・葵祭 投稿日時:2024/05/28 23:11:15
茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
京都の三大祭り(5月の「葵祭」、7月の「祇園祭」、10月の「時代祭」)のうちの一つである「葵祭」が5月15日開催されました。
御所を出て下賀茂神社に入り、さらに上賀茂神社に向かいます。

今から1400年前、欽明天皇のころ疫病、飢饉に見舞われた京都、占い師によると原因は加茂神の祟りであるといいます。これを鎮めるために始まったのが「葵祭」です。

総勢500人の行列人は葵の葉を飾っていることから「葵祭」と呼ばれます。

写真3・神輿に乗っているのは祭の主催者「斎王代」です。毎年未婚の女性が選ばれます。
「斎王」は本来皇室の女性が努めますが、明治になって一般女性が選ばれてきました。

さて、天皇家がこれほどまでに気を遣う「加茂神」とは何者なのでしょうか。

写真1・オレンジ色は検非違使(今の警察官)の下級役人。

今回は撮影目的のために歩道の最前列に早くから待機しました。
撮影場所は行列が下賀茂神社から出て隊列を整える車道に面したところです。
[144546]  Re: 京都・葵祭 投稿日時:2024/05/29 02:16:57
結衣さん
投稿: 結衣 さん [kYDFRmaP]
sinfonia結衣
茜さん

葵祭りはリアルでは見た事がないので 一度は見てみたいと思っています
総勢500人って見応えがきっとある事でしょう 

[144547]  Re: 京都・葵祭 投稿日時:2024/05/29 06:02:56
投稿: 飛鳥 さん [iMpQsH9v]    女装っ娘 高木飛鳥のお出掛け日?記
茜さま おはようございます(*^_^*)
お祭り見物、良いですね(^○^)
それも伝統ある京都の葵祭、最高じゃないですか(^v^)
撮影のために早くから陣取って望むなんて、お疲れさまでした(^g^)
私も一度でいいから見に行きたいです(^.^)
[144548]  Re: 京都・葵祭 投稿日時:2024/05/29 06:50:08
投稿: みえの はるな さん [mVzCYfsn]
茜さん おはようございます
葵祭は 肝心の葵の葉の確保が難しくなってきていて 存続に苦労しているそうですね…
[144550]  葵祭は貴族の祭 投稿日時:2024/05/29 23:53:37
茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
結衣さん、コラボ写真もありがとうございます。

祭は自撮りには向かないでしょうね(笑)。
カメラマンが必要ですね。

夏の祇園祭と違って静かです。音楽はありません。

写真1・オレンジ色は検非違使(今の警察官)の色です。
馬上の方は検非違使の長官です。

平安時代は草木染めでしたが、写真のオレンジ色は合成染料の「オレンジ2」というものです。
1850年代にヨーロッパで始まった合成染料ですが、
やがては薬につながっていきます。

写真3・着物の色はかつての様子が再現されていますが、カラフルな衣装です。
一般庶民は色がついていない着物です。

これらの行列を組んで上・下賀茂神社にお礼の言葉を述べに行き、ねぎらうのは天皇家に貸があるからなんですよ。

[144561]  牛車 投稿日時:2024/05/30 21:19:31
茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
飛鳥さん、コメントありがとうございます。

牛車は4人乗りで、地位によって牛車の格が定められています。
天皇家、摂関家クラスだけが使用で来たそうです。

写真の牛は下賀茂神社から上賀茂神社までの役割です。
出発時にこの牛は引くことを嫌がり、立ち止まってしまいました。

後日NHKの番組にこの牛のことが取り上げられていました。

この牛は乗馬クラブで飼育されていたものです。半年前に京都市から依頼がきて、重たい物をひっぱる訓練をしてきたそうですが、気分が乗った時しか引っ張らないようでした。

案の定この牛は気分が乗らず、立ち止まってしまい、周囲をヤキモキさせていました。

なだめすかされ、後ろから牛車を押してやっと動き無事に上賀茂神社に到着したようです。

[144562]  葵祭ha 投稿日時:2024/05/30 21:49:20
投稿: さん [wJfASmIT]
[144563]  葵祭は賀茂一族への感謝祭 投稿日時:2024/05/30 22:46:48
茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
誤解を恐れずに書かせていただきます。
西暦250年ごろまでは邪馬台国は存在していました。

盟主は出雲大社大国主の子孫です。
奈良県桜井市纏向遺跡に本部があったようです。
250年前後に神武天皇は奈良県橿原市に入ります。

これを手助けしたのが加茂族の葛城氏です。
加茂一族は葛城山の麓、高尾張村に盤踞する出雲大社ゆかりの方々です。
葛城氏は天皇家に協力するが、やがては滅びます。
神武天皇をいやがり名古屋・尾張(高尾張村からきています)に新天地を求めて移動した一族もいました。

一方で未開の地京都に移動した加茂一族は上賀茂神社に大国主を祀りました。

いつしか滅びた葛城氏は下賀茂神社にやってきて、これまた大国主を祀ります。
下賀茂、上賀茂神社は同族意識が強いので、京都にくることを許したのでしょう。

やがては平安遷都の794年以降、両神社は北の守護神として扱われるようになります。

しかしながら、朝廷はこれらの神社の支配地域を削ったのが原因でしょうか、たまたま京都が疫病と天候不順に見舞われて、「賀茂神社の祟り」ということにしたのでしょう。

「朝廷は過去の神武天皇を助けたことを思い出してほしい」と、して葵祭の感謝祭を要求したのでしょう。

写真は上賀茂神社に隣接する「社家町(しゃけちょう)」、
上賀茂神社の幹部クラスの社宅です。

葵祭を裏読みするとこうなります。
加茂神社の公式の文言ではありません。
[144569]  出雲世界の再現 投稿日時:2024/05/31 13:55:09
茜さん 茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
はるなさん、コメントありがとうございます。

写真1・京都の鴨(加茂)氏が出雲大社系であったことを証明する証拠が下賀茂神社にあります。
拝殿前の言社(ことしゃ)と呼ばれる七つの小祠があり、祀られている神様の干支の説明です。七神をこれほどまで明確に表している事例をはじめてみました。
大国主が別名で多くの活動をしたことを表しています。

写真2・上賀茂神社の摂社である大田神社です。
上賀茂神社が創建されたとき、すでにあったそうです。
ここに1000年も前からカキツバタの群落があり、平安時代の詩にも取り上げられています。
かつてはこの付近にも葵が見られたことでしょうが、大田神社のそばまで住宅が迫り、自生する場所は無くなったのでしょう。
葵祭に使う葵の葉は上賀茂小学校で栽培されているようです。

写真3,4・下賀茂神社の摂社「河合神社」が糺の森にあります。いつ頃の創建か不明ですが、朝廷の差し金でしょうか。

何と祀神は神武天皇の母親。
このため女性の参拝が多いようです。

鴨長明(下賀茂神社禰宜の次男)の庵が再現展示されています。

平安京遷都の後、生き残りをかけて天皇家に貢献したいとの思惑が見え隠れします。

後に聖徳太子の指示で秦氏が京都の西側にやってきますが、お互いの領域をおかさずに友好な関係だったそうです。


女装HOME > 女装投稿写真 > 投稿写真スレッド