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せっかく綺麗に女装したのに人に見てもらうチャンスが無い方や、とっておきの秘蔵女装写真をお持ちの方、自分の女らしさをアピールしたい方の女装写真をこちらに掲載いたします。

25748. 洞ヶ峠のサルスベリ
[145610]  洞ヶ峠のサルスベリ 投稿日時:2024/08/30 01:03:31
茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
「洞ヶ峠を決め込む」という言葉があります。
勝ちそうな方に味方をするという意味です。

1582年、明智光秀が織田信長を討った本能寺の変。この後は天王山・大山崎合戦に至ります。

明智光秀と仲と好かった奈良県の戦国大名45万石の筒井順慶は京都府八幡市(石清水八幡宮の在る地、京都府と大阪府の境目)は洞ヶ峠で戦況を見ていました。

ここは光秀の陣地の背後、光秀に味方するつもりだったのかもしれません。

写真1:八幡市の洞ヶ峠はサルスベリの街路樹で有名です。

写真3:大阪府在住の私は京都市内に行くときはいつもこの交差点を通過します。
左右に走るのが国道1号線、向かって右に行くとき京都市内方面です。

いつもこの前を通りながら、サルスベリの街路樹を撮影しませんでしたが、先日京都に行く機会があって撮影してきました。

[145615]  Re: 洞ヶ峠のサルスベリ 投稿日時:2024/08/30 18:51:04
投稿: ゆかねこ さん [S3TbUPvm]
茜さま、いつもの道もちょっと違って見える
それも女装のイイところ

◆いつもの路今日は女装よ百日紅
◆百日紅女装子お気に入りのバッグ
◆女装ドライブ国道の百日紅
◆炎暑の女装子国道の照り返し
◆生脚の女装子歩道は夏の草
[145617]  Re: 洞ヶ峠のサルスベリ 投稿日時:2024/08/30 21:14:56
投稿: みえの はるな さん [mVzCYfsn]
茜さん こんばんは
筒井順慶の名前 久し振りに聞きました…
洞ヶ峠のいわれが史実がどうかは別にして 大和郡山城跡にもぜひお訪ねください…
[145618]  Re: 洞ヶ峠のサルスベリ 投稿日時:2024/08/30 21:22:00
茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
ゆかねこさん、ありがとうございます。

背後の送電線鉄塔が見えるのが天王山です。
この麓が大山崎の激戦区です。
近くにはサントリーの大山崎工場があります。

今は樹木が茂って見えませんが高台からは、この近辺の農民は戦を見物していたといいます。
[145620]  Re: 洞ヶ峠のサルスベリ 投稿日時:2024/08/30 21:33:44
投稿: 飛鳥 さん [iMpQsH9v]    女装っ娘 高木飛鳥のお出掛け日?記
茜さま こんばんヮ(*^_^*)
サルスベリを街路樹にするというのは珍しいですネ(^_^)b
街路樹だと背景一面にサルスベリを入れることは難しそうですけど、満開の頃は綺麗でしょうネ(*^^)v
大阪と京都の境の辺りの所って平地のようですけど峠の地形なのかしら(^^ゞ??
[145621]  Re: 洞ヶ峠のサルスベリ 投稿日時:2024/08/31 00:53:56
茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
みえの はるなさん

洞ヶ峠で順慶が布陣したという正確な資料は無いようです。
ただ、奈良で死闘を繰り返してきた筒井順慶は当時から「日和見順慶」が相当流布されていたので、洞ヶ峠と結びついたのかもしれません。

歴史にもしは禁物ですが、あと1ヶ月遅ければ、家康が光秀との約束通り、駆けつけたことでしょう。

江戸時代なって、順慶の息子の代になって45万石は改易になりました。

大和郡山は金魚祭りで訪れたことはありますが、城跡はまだですので、行ってみたいですね。

[145622]  Re: 洞ヶ峠のサルスベリ 投稿日時:2024/08/31 01:37:23
茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
飛鳥さん

百日にわたって長く咲き、幹は猿が滑るほどツルツル。
百日紅(サルスベリ)のいわれです。

従来はこの花が咲き出すと涼しくなり晩夏のイメージがあったのですが、最近は暑いですね。

京都と大阪の間には山間部のような高い峠はありません。
洞ヶ峠の横には「高野道(こうやみち)」という、京都から和歌山県の高野山に通じる平安時代の古い街道が残ります。

街路樹としては花が咲くメリットがある反面、花を咲かすための剪定作業が要るので、敬遠されているのかもしれません。

細い枝が花をつけますので、剪定して揃えてやります。
ここは白花と紅花が植えられています。
[145630]  Re: 洞ヶ峠のサルスベリ 投稿日時:2024/09/01 03:21:43
結衣さん
投稿: 結衣 さん [kYDFRmaP]
sinfonia結衣
私の祖先は 田舎の小さな山城の城主でした 1579年織田信長の命により 明智光秀に攻め落とされました
長男、次男は討ち死にをしましたが その他の一族は落ち延びたとされ 菩提寺や天皇家から譲り受けていた神社は現在に受け継がれています 私がその時代に生きた女性であるならば本当の姫様なのです
[145644]  Re: 洞ヶ峠のサルスベリ 投稿日時:2024/09/01 21:03:11
茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
結衣さん、ありがとうございます。

1579年光秀丹波地方攻略、そして1582年の本能寺の変・大山崎合戦と、時代は目まぐるしく回転しました。

藤の花の白毫寺を訪れたとき黒井城址の案内板、丹波篠山を訪れたときは八上城址の案内板をみました。いつかは訪れたいと思います。

明智光秀の家老・斉藤利三が黒井城の下屋敷に入ったのですね。これが興禅寺。ここで春日局が生まれていたのですね。

1989年のNHK大河ドラマ大原麗子主演「春日局」が放送されたとき、何も知らずに興禅寺を訪れ、お福(春日局)の産湯の井戸を見たことがあります。

それにしても、家康は三代将軍家光の乳母に春日局を抜擢したのが不思議です。

歴史に「もし」は不要ですが、光秀の侵入がなかったら結衣さんの先祖は城主のまま明治を迎えていたことでしょうね。
結衣さんのプライバシーもありますので、これ以上は書けません。
[145699]  Re: 洞ヶ峠のサルスベリ 投稿日時:2024/09/05 21:35:47
投稿: 穂波 さん [q8c1HHVq]
茜さん、こんばんは。
大山崎あたりって、淀川の西側が
狭くなっていて、そこを
名神高速道路、新幹線、JR京都線、阪急、国道171号線
などの交通の大動脈がひしめき合って走っている場所ですね。
昔は天王山トンネルが片側2車線しか通っていなくて
自然渋滞の名所でもありました。
で、サントリーウイスキー山崎の発祥の地でもあります。

実はここに
大山崎山荘美術館があって、
時間が無くて、中には入らなかったのですが、
外だけお邪魔したことありました。
17年も前のことでした、、(^^;A

http://honami101.web.fc2.com/album/album07/07_09_01_OutDoor.htm
[145707]  サントリー工場と大山崎山荘 投稿日時:2024/09/06 22:20:04
茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
穂波さん、ありがとうございました。

そうですね、大山崎の地は大動脈が集まっている地ですね。光秀は味方の人数が少ないので狭いこの地を決戦の場として選んだのかもしれません。

明智光秀は最後は勝竜寺城に退却し、ここから脱出したという門が残されています。ここは桜が有名です。

私は数年ほど前にサントリーの試飲会に訪れたことがあります。
京都盆地の伏流水の出口が大山崎と伏見ですね。

工場見学をした後に試飲会がはじまります。
デジカメ画像が残っていました。

すみません、カミさんの写真が入っています。

写真3・このあと大山崎山荘を訪れました。
安藤忠雄設計の地下美術館も良いです。

[145714]  Re: 洞ヶ峠のサルスベリ 投稿日時:2024/09/06 23:26:43
投稿: 幸子 さん [udFDNQyo]    sachyanのきもの大好き
ご無沙汰していましてすみません。暑さと台風に振り回されて、エアコンの効いた部屋で、静かにしていました。
日の光が強くて、写真の色合いが濃く、カラフルに見えますね。戦国の歴史も知らないものがあって興味深く拝見しました。
[145720]  細川護熙元首相 投稿日時:2024/09/07 14:31:57
茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
幸子さん、ありがとうございます。

武田勝頼が天目山の露として消えた後、信長は家康をねぎらうためと称して、堺観光に招待します。
堺観光から本能寺へ帰ったところを、明智光秀が打ち取る手はずでした。
これは信長が光秀に命じた策謀です。
しかし、光秀はこれを家康に伝えます。
この時、家康が三河に帰って戦支度をして、ともに秀吉と戦うことを約束します。

戻るまでに1カ月と想定します。しかし秀吉は岡山からわずか一週間でやって来ましたので、天王山の決戦には間に合いませんでした。これが真実です。

細川忠興は明智光秀の娘玉(細川ガラシャ)と1578年に勝竜寺城で挙式しています。
天王山の戦いには光秀の誘いを嫌って城を出ています。
天王山の戦いに敗れた光秀はこの城に避難して、そして琵琶湖坂本城で家康の到着を待って再起しようとしますが、途中で落ち武者狩りに合います。

写真1・真夏の強い光で色合いが強くなる百日紅です。
写真2・勝竜寺城址は記念館になっています。細川ガラシャの資料館です。
写真3・細川忠興、ガラシャの像

それにしても細川忠興の直系の子孫が元首相細川護熙(熊本は18代当主)とは驚きです。
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