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せっかく綺麗に女装したのに人に見てもらうチャンスが無い方や、とっておきの秘蔵女装写真をお持ちの方、自分の女らしさをアピールしたい方の女装写真をこちらに掲載いたします。

25494. 丹波篠山城址
[142946]  丹波篠山城址 投稿日時:2024/01/17 21:29:53
茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
関ヶ原合戦(1600年)の後、大坂城の豊臣秀頼を警戒する徳川家康は大坂城包囲網を計画します。その一つが兵庫県丹波篠山市にある篠山城です。

1609年、浅野幸長、蜂須賀至鎮、加藤嘉明、福島正則らの豊臣恩顧の大名が徳川家に協力する証として篠山城は築かれました。いわゆる天下普請、総奉行は池田輝政、縄張りは築城の名手藤堂高虎です。

15か国、20の大名、総勢8万人の労力でわずか6ヶ月で完成したといいます。

石高5万石にしては立派過ぎる石垣の規模は天下普請のたまものです。
5年後の1614年11月「大坂冬の陣」が始まります。



[142951]  Re: 丹波篠山城址 投稿日時:2024/01/18 00:18:00
投稿: 飛鳥 さん [iMpQsH9v]    女装っ娘 高木飛鳥のお出掛け日?記
茜さま こんばんヮ(*^_^*)
丹波篠山城址、お城マニアにはたまらない所ですネ(^_^)b
御城印を集めていらっしゃる方も多いですので、行かれたのなら是非頂いてみてください(^J^)
神社仏閣の御朱印と同じように集めるのも楽しいと思いますよ(^^♪
[142955]  Re: 丹波篠山城址 投稿日時:2024/01/18 07:00:10
みえの はるなさん
投稿: みえの はるな さん [mVzCYfsn]
茜さん おはようございます
わたしは 国宝の天守5城は お着物で踏破しましたが それ以外の 現存天守は お兄ちゃんが去年 松山城に行っただけ…
それ以外の わたしが行ったお城跡は 大阪城と松阪城跡くらいかしら… 
お写真は 犬山城…

[142960]  三代将軍家光は女装趣味 投稿日時:2024/01/18 23:10:19
茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
飛鳥さん、ありがとうございます。

幕末までの間この城の藩主は青山氏であることは知っていましたが、磯田道史「日本史を暴く」に、青山氏の記述がありました。

青山家は家康の代から徳川家に仕えます。青山忠成は21歳で二代将軍秀忠の「もりやく」になっています。家康が秀吉の命で関東に移封になった折5千石の知行を得ています。
忠成の子忠俊は三代将軍家光の「もりやく」となります。

ある時忠俊が御前に出ると、家光は鏡を並べて化粧をしている。当時は歌舞伎役者の奇抜なファッションが流行った時代です。

忠俊は化粧鏡を奪い取ると庭に投げ捨てます。
家光は忠俊を老中から外し、改易(家禄を没収)処分にします。

この後は次の将軍の代になって、青山忠朝が篠山城五万石に栄転します。1748年から1871年まで篠山藩は続き明治に至ります

徳川家には常識ある幕臣がいて、青山家の貢献が高いことを知っていたようです。青山家は何回も老中に就任しています。


[142961]  妻入り商家群 投稿日時:2024/01/19 00:38:22
茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
みえの はるなさん、ありがとうございます。

着物でお城の観光は最高ですね。

兵庫県丹波篠山市にある河原町。
ここは古くからの交通の要衝であり、篠山城築城後は城下町の商業地として栄えました。

国の重要伝統的建造物保存地区に指定されている「河原町妻入り商家群」が今も変わらず残ります。

「妻入り」とは日本建築の用語で建物の妻側に出入り口のあるモノを言います。「つま」とは端のことです。
建築費用が安く雨漏りが少ないです。

また、一階でもなく二階でもないような高さの商家が多いようです。
これは「厨子二階」(つにしかい)と呼ばれる二階部分の天井が低く、主に物置に使われていました。
そして二階のの部分には「虫篭窓(むしこまど)」があり、防火対策として流行った窓もあります。

関西で古い城下町の風情が色濃く残る丹波篠山市、観光客が多いです。
[142962]  Re: 丹波篠山城址 投稿日時:2024/01/19 02:00:24
結衣さん
投稿: 結衣 さん [kYDFRmaP]
sinfonia結衣
茜さん

篠山城にもいかれたのですね。
レジェンド&バタフライの映画が撮影されたお城でも有名ですね、その時は清州城と言う設定で撮影されました、その時友達がエキストラで出演しました、キムタクと綾瀬はるかさんの撮影を見学できたようで、綾瀬はるかさんのセリフは声も良く通り素晴らしい演技だったそうですが、キムタクは何を言っているのか良くわからなかっようです。演技の実力の差が、如実に出ていたそうです。
それから、中谷美紀さんがとても綺麗だったそうで、綾瀬はるかさんが中谷さんの年齢になった時、あんなに綺麗でいられるかな?なんて思ったって言っていました。
篠山城の石垣は高いのは、NHKの日本最強の城シリーズで家康は築いた城の中で、2番目に高い石垣だと紹介していました。
[142965]  藤堂高虎は穴太衆を抱えていた 投稿日時:2024/01/19 18:56:59
茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
結衣さん、コメント、写真ありがとうございます。

お友達は好い経験をされたようですね。
中谷美紀はいくつになってもきれいですね。

藤堂高虎、黒田官兵衛、加藤清正が「築城三名人」と言われますが、城のなわばりの数が最も多い高虎が第一人者でしょう。

高虎ははじめ秀吉の弟の秀長に仕えた頃秀吉の長浜城建設に出仕しています。
また、織田信長の安土城築城の折は秀吉に従って工事に従事しています。

これらの工事で近江坂本の石工である穴太衆(あのうしゅう)と出会い石の座りの工夫を学んだようです。

同郷の甲良大工、穴太衆を抱えて優れた建築集団を組織したことが城造りの名手と呼ばれる所以だったのでしょう。

戦国時代は穴太衆が全国に出かけて石垣の指導に出かけ、日本の城の石垣の8割を造ったといいます。
しかし戦がなくなった江戸時代には仕事がなくなり、現代では穴太衆の技術を受け継ぐ会社が栗田建設だけになったのは淋し限りです。

野面(のづら)積は前面に隙間があるので、崩れやすそうで志うが、実はこの空間に秘密があるのです。

城以外の工事ではこの空間にセメントを詰めないと今の建築基準に引っかかるそうです。

1枚目の写真は前面の隙間に石を詰めていますが、これが野面積ですね。
2枚目写真はも野面積、加藤清正の熊本城の石垣は前面がぴったりしていませんが、この方が地震による力の分散に有効だそうです。
[142966]  Re: 丹波篠山城址 投稿日時:2024/01/19 22:20:28
投稿: 今日子 さん [ukPeIUBN]    一人暮らしでも楽しい夕食
茜 さん、今晩は!
そうゆう歴史があったとは、知りませんでした。
北海道は、松前と五稜郭しか城がないもので。
お城がある本州は、歴史とロマンを感じます。
[142970]  長屋門 投稿日時:2024/01/20 01:46:14
茜さん 茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
今日子さん、ありがとうございます。

長屋門は門の左右が住居になっていて、門番、使用人が住めるようになっている門です。

12代藩主青山忠裕に長年仕えた老女(侍女の筆頭)小林千衛がもう年だからと言って、退職を願い出ました。

藩主は長年の労に報いるために、青山家の屋敷の前に長屋門を立てて、小林千衛と一人息子が暮らせるように配慮しました。1805年の頃です。

それから現在まで、小林家はこの家に暮らしています。それ故に内部は非公開です。

青山家の殿様は住民に慕われていたのでしょうか、明治になってお城の中に青山神社が作られています。
また、明治になった時鳳鳴高校の前身である学校の建設を私費で建てたり、東京に学びに出る学生に資金を提供しています。

丹波篠山は冬は獅子鍋(猪)でにぎわいます。

柿のなるころ11月頃に訪れました。背後が長屋門です。写真1、2


[142974]  格子戸を~♪くぐり抜け~♪ 投稿日時:2024/01/20 05:47:12
投稿: 真理子 さん [ipeuAMIw]
茜さん
丹波篠山城、行ってみたいですね。
たしか街のど真ん中にありますよね。
昔の面影が残るこんな城下町を着物姿で歩くと癒されそう~。
格子戸を~♪くぐり抜け~♪見上げる夕焼けの空に~♪
なんて口ずさみたくなりますね。
この城を普請した一人が藤堂高虎だったんですね。益々行ってみたくなりました。
[142990]  藤堂高虎 投稿日時:2024/01/21 01:50:54
茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
真理子さん、ありがとうございます。

1968年リリース小柳ルミ子の「わたしの城下町」、よく覚えています。平尾昌晃作曲、星野哲郎作詞でした。
故郷の風景が目の前に見えるような好い曲でしたね。

藤堂高虎、山之内一豊など豊臣恩顧の大名ですが、秀吉は余り重要視しなかった大名ですね。
それ故に、早くから徳川家に就く気持ちはあったのでしょう。

特に藤堂高虎は穴太衆を引き連れて全国のお城に出向いて築城に加わっています。三重県津という海上交通の要衝を任されていましたので、徳川はよほどの信頼を寄せていたのでしょう。

戦国時代の名前の知れた武将は小説にはなりますが、今回の青山氏のような家康の時代から家来になっている武将は小説にはなりにくいものです。

私たちが知る東京港区の「青山」は青山氏の江戸屋敷にちなんでつけられたものです。

青山氏は丹波篠山では民衆の気持ちがよくわかる好い藩主だったそうです。

関西では滋賀県彦根市は徳川四天王の一人伊井直政の彦根城下町ですが、幕末の大老井伊直弼が有名です。その子孫の井伊氏は彦根市長を1953-1989年、36年間名物市長でした。

写真1:表面に空間が開いているのが野面積(のづらづみ)、これは重心が表面より内側にあるので、地震でも崩壊しません。

写真2:城下町の道は築城当時のものです。まさに「わたしの城下町」です。「妻入り商家群」です。









[142994]  Re: 亀戸天神にお参りに 投稿日時:2024/01/21 07:50:05
投稿: 幸子 さん [udFDNQyo]    sachyanの着物大好き
風情のある城下町ですね。確かに石垣はなかなかのものと拝見しました。城としての建物は残っていないようで、ちょっと残念です。パンツルック途中で履き替えているのですね。撮影お疲れさまでした。
[142997]  篠山城城下町 投稿日時:2024/01/21 23:49:09
茜さん 茜さん 茜さん 茜さん
投稿: さん [wJfASmIT]
京子さん、ありがとうございます。

大阪城包囲網の一環として築かれた篠山城、このお城には天守閣がありません。

天守閣を築く直前、家康の命で中止になりました。
「敵の領内に天守閣を作ると、奪われたときにダメージが大きい」とのことです。
石垣と大書院だけが建造されました。

丹波篠山市は人口3万9千人、明治時代に福知山線の市内通過を許さなかったので、JRの駅からは離れています。それ故に発展が遅れたのですが、昭和の面影が残る懐かしい街になっています。

京阪神からは高速道路で行きやすいので、観光客が多いです。
今はぼたん鍋のシーズンです。

写真1はかつての役場跡、地元の土産物をおきます。
写真2はこの地の繫華街です。女性客が多いです。
写真3はぼたん鍋のお店です。かつてはイノシシが店先に数頭並べてありましたが、今は皆無です。









[143022]  京子さんではなく、幸子さん 投稿日時:2024/01/23 18:06:13
投稿: さん [wJfASmIT]
京子さん、すみません。
名前を間違えました。
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